タイタニックはどこまで実話なのでしょうか?
映画に登場する実在人物は誰で、日本人は何人いたのでしょう?
今回は、タイタニックどこまで実話なの?実在人物は誰で日本人は何人いた?についてまとめていきます。



タイタニックどこまで実話なの?
映画「タイタニック」は実話とフィクションが混ざり合っています。
歴史的な事実と実在の人物が基盤となりつつ、エンターテイメントとしての要素が加えられているのです。
「タイタニック」と言えば、たくさんの人が思い浮かべるのは、1997年のジェームズ・キャメロン監督の映画ですよね。
タイタニック映画は、実際の歴史的な出来事をベースにしていますが、ストーリーやキャラクターの一部はフィクションです。
まず、大事な事実としては、タイタニック号は本当に存在した船で、1912年4月に氷山に衝突して沈んだことは間違いありません。
また、船の設計や内装、当時のクラス制度など、映画で描かれた環境の多くは実際のものをかなり正確に反映しています。
一方で、映画の主要なキャラクターであるジャックとローズは架空の人物です。
彼らの恋愛物語は、映画のドラマとエンターテイメントを高めるために作られました。
また、映画で描かれる様々な出来事の中には、実際に起こったと記録されているものもあります。
例えば、タイタニック号が氷山に衝突したときに演奏していたバンドが最後まで音楽を奏で続けたという話は本当です。
つまり、映画「タイタニック」は実話とフィクションが混ざり合っています。歴史的な事実と実在の人物が基盤となりつつ、エンターテイメントとしての要素が加えられているのです。
それぞれの物語や映画は、私たちが過去を理解する一つの道具となります。だからこそ、私たちは実話とフィクションを見分けることが大切ということになりますね。
実在したタイタニッの情報は以下の表にまとめました。
カテゴリ | 詳細 |
---|---|
建造開始 | 1909年3月 |
進水 | 1911年5月31日 |
建造目的 | 20世紀初頭の航行競争に対抗するため |
主な競争相手 | 英国のCunard社 |
設計 | 電動防水ドアを備えた15の防水区画が特徴 |
設計の欠陥 | 防水区画の壁が水線の数フィート上までしかなく、船が傾くと水が区画間を移動できた |
救命ボート | 16隻の通常の救命ボートと4隻の折り畳み式救命ボート、合計で船内人数の約35%しか収容できなかった |
初航海日 | 1912年4月10日 |
初航海の目的地 | ニューヨーク |
乗客 | 高位の役人、裕福な産業家、著名人など |
しかし、映画には実在した人物もたくさん登場します。
実在人物についてもみていきましょう。
タイタニックで実在人物は誰?
映画「タイタニック」には実際に存在した人物が数名登場します。
以下にその一部をご紹介します。
- ブルース・イズメイ
彼はホワイト・スター・ラインの会長で、タイタニックの建造を主導しました。
映画では、彼は船の安全を無視して速度を上げるように命じる役割を果たしていますが、これは実際には証明されていません。
船が沈む前に脱出したため、一部の人々から批判を受けました。 - トーマス・アンドリュース
彼はタイタニックの設計を担当した建築家で、船が沈むことを悲しみ最後には船と一緒に沈みました。
生存者によると彼は船が沈むまで他の乗客を助けようとしていました。 - マーガレット「モリー」ブラウン
彼女は一等船客で、タイタニックの生存者の中で最も有名な一人です。
彼女は乗客を落ち着かせ、救命ボートに乗るために働いたことから、「沈まないモリー・ブラウン」のニックネームを得ました。 - ジョン・ジェイコブ・アスター IV彼はタイタニックに乗っていた最も裕福な乗客で、映画では彼の妻が妊娠していると言われています。
- Benjamin Guggenheim
彼は実業家で、彼と彼の召使いは女性と子供が先に救命ボートに乗るべきだと主張し、船と一緒に沈みました。 - Archibald Gracie
彼は生き残りの一人で、1912年の沈没について本を書きました。 - Harold Bride and Jack Phillips
彼らは無線オペレーターで、最初の遭難信号を送り、最後まで遭難信号を送り続けました。
この他にも実際にタイタニック号の乗客および乗組員は合計で約2,240人でした。
タイタニック号についてはこちらもご覧ください。

タイタニック日本人は何人乗船していた?
タイタニック号には一人の日本人が乗船していました。
日本人唯一のタイタニック乗船者の名前は細野正文さんで、ミュージシャンの細野晴臣さんの祖父だったんですよ。
タイタニック号が沈没した1912年4月15日の事故から細野正文さんは生還し、日本に帰国しましたが、帰国後は世間からの厳しい批判に直面しました。
タイタニック号に乗船していた日本人の細野正文さんは、救命ボートに乗り生還しました。
帰国後、細野さんは「他人を押しのけて救命ボートに乗った嫌な日本人」として批判されることとなりました。
これは、イギリス人のローレンス・ビーズリーの著書『THE LOSS OF THE SS.TITANIC』でそのように証言され、それが日本で広まったからです。
しかし、その後の調査でビーズリーさんと細野さんは別の救命ボートに乗っていたことが判明し、ビーズリーさんの証言は人違いだったことが明らかになり、細野さんの名誉は回復されました。
一方で、ジャーナリストの安藤健二さんは、ビーズリーさんの証言に基づく細野さんへの批判には疑問があると指摘しています。
彼の調査では、ビーズリーさんの著書から日本人に関する証言を見つけることはできず、細野さんを批判した教科書や新聞記事も発見できなかったとのことです。
実際に確認できる最初の細野さんへの批判は、細野さんが亡くなった後の1954年の新聞記事だったとのことです。
以上のような経緯があり、細野さんがバッシングを受けたという話は実際のところどうだったのか、いくつかの疑問点が存在しています。
タイタニックどこまで実話なの?実在人物は誰で日本人は何人いた?まとめ
タイタニックどこまで実話なの?実在人物は誰で日本人は何人いた?についてのまとめはこちら!
- 映画「タイタニック」は実話とフィクションが混ざり合っています。歴史的な事実と実在の人物が基盤となりつつ、エンターテイメントとしての要素が加えられています。
- 日本人では細野正臣さんという方が乗船し、無事帰還しています。


